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ゼネラリグループ概要

翼を持ったライオン

ゼネラリ保険会社は、世界最大の保険会社の一つであり、翼を持ったライオンをシンボルとして、世界の60を超える国々で保険を販売しています。
会社の正式名称をアシキュラチオニ・ゼネラリ・エス・ピー・エイ(Assicurazioni Generali S.p.A)といい、イタリア共和国トリエステ市が本社の所在地です。
後ほど説明をするように、会社設立後しばらくの間、ベニスにも本社を置く体制をとっており、会社のシンボルである翼を持ったライオンはベニスの守護聖人聖マルコの象徴から取られたものです。
下記に示したのは、1797年まで存在していたベネチア(ベニス)共和国の国旗で、翼を持ったライオンが中心的な絵柄として描かれています。

社名の意味合いですが、アシキュラチオニとは保険を意味し、また、ゼネラリは英語で言うゼネラルにあたり「全般的な」という意味を有しています。
さらに、社名の末尾にあるS.p.Aは、Societa per Azioni の略で、株式会社を表しており、全体を繋げて日本語にしてみると、保険全般をあつかう株式会社、といった内容になります。
後ほど、会社の歴史について述べる中でも触れられていますが、幅広い保険を引き受ける会社になろうとする意図に基づき、ゼネラリという社名が選択されました。

ベネチア共和国 国旗
前述の通り、ゼネラリ保険会社は、現在、60カ国を超える国々において営業を行っています。
イタリアにおいては、生命保険と損害保険の両方を、また、その他の国では、それぞれの市場の状況や保険事業を巡る規制の内容に応じて、生保と損保の両方あるいはいずれかを営業しています。
日本においては、1987年から損害保険の営業をおこなっています。

以下は、グローバルベースでのゼネラリグループの業容です。 (2014年連結ベース) 
イタリア地図
(連結ベース 2014年12月31日 1ユーロ=144.78円で換算)
総資産501,318百万ユーロ (72兆5,808億円 対前年+11.49%) 
収入保険料 (生保損保計) 70,430百万ユーロ (10兆1,969億円 対前年+7.7%) 
当期利益1,852百万ユーロ (2,681億円 対前年-13.54%) 

ゼネラリ保険会社の歴史

ゼネラリ保険会社は、1831年、現在のイタリア・トリエステ市において、ジュゼッペ・ラッザロ・モルプルゴという人物によって設立されました。
当時トリエステは、イタリアではなくオーストリア・ハプスブルグ帝国に属しており、自由貿易港としての地位を与えられていました。
このため、経済的に非常な繁栄をとげ、南部ヨーロッパでは、マルセイユに次ぐ第二の港湾都市の地位にあったといわれています。

保険事業も極めて活発で、海上保険を中心に引き受ける保険会社が数十社存在していましたが、ゼネラリはそれらの保険会社が持っていた平均的な資本金の十倍もの資本金により設立されました。
また、社名については、海上保険のみならず全ての保険の引受を行おうという意図の下、「Generali 全般的な」という言葉が採用されました。
ゼネラリでは、会社設立当初から、本店機能をトリエステとベニスの二ヵ所に置いていました。
トリエステの本社は、会社全体を統括する機能を与えられ、一方ベニスの本社は、現在のイタリア国内に存在していた王国や公国を含むイタリアの半島全体の営業機能を統括していたようです。

ゼネラリのシンボルである翼をもったライオンがベニスに由来するものであるのは前記の通りですが、最も初期の段階では、双頭の鷲を社章に使っており、これは、オーストリアの会社としてハプスブルグ家の紋章をかたどって使用したものです。
ハプスブルグ家の紋章を用いた社章

イタリアが現在とほぼ同様な形で国として統一されたのは、ゼネラリが設立されてから30年後、1861年です。
19世紀中盤以降は、ヨーロッパの歴史は極めて複雑かつ混乱したものになっていきます。
当然、ゼネラリの業績もそのような状況に大きく影響され、特に1860年代は、戦乱や疫病の流行等により、会社の歴史において最悪の時期となりました。
また、イタリアとオーストリアの国同士のいさかいから、オーストリア政府から様々な干渉を受け、一時本社をトリエステからウィーンに移すことを余儀なくされることもありました。

しかしながら、ゼネラリはそのような苦難の時期を乗り越え、1870年にはイタリア市場において、最大の保険会社となり、以後、現在に至るまでその地位は変っていません。
また、海外への展開も積極的に推進し、1870年代の後半から1880年代にかけて、アフリカ北部を含む地中海沿岸に進出したのをはじめ、サンフランシスコ、ボンベイ、上海、香港などにも事務所を開設しました。

オーストリア・ハプスブルグ帝国は、1918年第一次世界大戦の終了とともに消滅し、それと同時にトリエステはイタリアの領土として編入されることになりました。
それを受け、1919年、ゼネラリもイタリア籍の保険会社となりました。
第二次世界大戦により、ゼネラリの事業は極めて大きな打撃を受けました。
交戦国におけるビジネスや資産は全て失われ、また、中欧、東欧に有していた資産も同様に全て失われました。

しかしながら、戦争終了後は急速に業容を復活させ、共産圏に移行した国々や主としてアジアの旧英国植民地であった地域を除き、事業は順調に正常化していきました。
ゼネラリでは、広場にいる鳩に餌を与えて集め、地面に会社の頭文字を描き出すことを伝統としてきましたが、1953年にはそのような伝統も復活しました。

その後、ゼネラリは、幾多の経済情勢、政治情勢の困難を乗り越え、ほぼ順調に成長を続け、さらなる海外展開も続けていきました。
中でも、第二次大戦後失った中東欧圏やアジアの市場への進出には極めて積極的で、現在ではそれら地域の数多くの国々で営業を展開しています。
ベニスのサン・マルコ広場に鳩で描かれたゼネラリの頭文字